生きてるってこと

 「生きてるって、ここにいて一緒に絵を描いてることだよ」

そのことを教えてくれたのは仲間たちだ。

 ボクとフェースofワンダーで関わりながら、新しい画材や色の塗り方、描線に挑戦する仲間たちは、その試みに対してまっすぐボクに心を開いて受け入れたり、NOを突きつけてくる。

 彼らの表情や身振り、声音などで、「この挑戦は渋々だけれどやってやるよ」とか「ああ、ダメダメ、今はその気分じゃない!」とか時には「ん、なんだか面白いね」と伝えてくる。

そこに言葉は必要ない。ただそばにいて感じること。変幻自在の仲間の心を感じられるようにボクらの五感を開いていることだ。

 言葉は怖い。「言葉で判断してちゃダメだ!」ということをボクは何度彼らから教わっただろう(笑)。

 

 彼らの行動は心と密接に結びついているから、彼らと一緒に表現につきそっているボクは彼らの想いにどう対応するか、いつも考えるのだ。

 あ、嫌がってるなと思っても彼らの想いに無条件で従うってことはボクはまずやらない。「新しい挑戦なんだから、ちょっとやってからボクに信号を送ってよ」という気持ちがある。

 なぜならボクが彼らの表現のそばにいるのは、新しい画法や画材の体験を二人で積み重ねながら、少しでも豊かな彼らの世界を創り出したいからだ。

 それってボクの勝手な思い込みなんだろうけれど、仲間たちはそれを受け止めてくれている。これも思い込みかもしれないけれど、ボクには実感めいたものがる。

 10年、20年、30年と一緒に表現を求めて二人三脚の旅を続けていると、人生を共にしている感覚が生まれる。仲間たちとボクの間にはそんな風に生きてる時間がある。

 それにしても仲間たちはそれぞれの置かれた環境の中で実に柔軟に姿や生きる方法を変えて生きている。すぐに頑なになるボクには決して届かない柔らかさを持っている。

 こう書くと、多くの人はまた違和感を持つだろう。仲間たちのさまざまなこだわりや言葉を使わない生き方をマイナスのものと信じて疑わない人たちはまだたくさんいる。そんな人は仲間たちの生きる世界/時間の豊かさを想像もできないだろう。

 ボクはその豊かさを彼らの表現、アートから学んだ。だから、それに触れたい人はフェースofワンダーにきて、一緒にアートしたらいい。

 そうすれば、生きることと表現することは切り離せない大切な活動で、自分も自分のあるがままの表現を見つけたいと願うだろう。

 フェースofワンダーはそんな場所で、ボクらはいろいろな人たちが一緒に生きているアートの森を作り続けている。