3分間の描線

 

    長年、仲間たちと絵を描いていると、心に刻まれるような忘れられない瞬間というものがある。それはボクの人生の大切な地層のような見えない時間になって、いろいろな出会いや活動が積み重なり、新しいアートがそこから芽吹いて来る。
    いまボクが仲間たちと育てている「フェースofワンダー/アートの森」も、ひとつひとつの木々が地中にのばした根っこの土壌にはいくつもの大切な瞬間が必ずあるのだと思う。
    そんな大切な瞬間の一つを紹介したい。
    Sさんの描いた3分間の線だ。線の長さは10cmくらい。その線が描かれた場にいないと、どんなアートの達人も口達者な評論家も、その線が持っている時間の重さを感じ取ることはできないだろう。
   Sさんは脳性麻痺で手足がうまく動かない(ようにボクには見える。でもSさん自身はそう思っていないかもしれない)。それでも床に座り、片手に筆を縛りつけ、まるで肩で描くように身体をゆっくり倒しながら線を描いていく。その線はもちろんSさんならではの味わい深い線だ。
   その日、Sさんは体調が悪かったのもしれない。床に座った時点で、やや表情が硬く、息づかいも荒かった。で、ボクは「無理しないでねえ。描かなくても全然いいから」といつもの調子でSさんに声かけした。するとSさんは何度かボクを見上げ、「描く」という意思をボクに伝えてきた。ちょうど、年が明けたばかりで、新年のアート初め。で、その日の活動は書き初め代わりに墨で線や文字を描くことにした。
    体調がイマイチのSさんも新年でアート初めにかけていたのだろう。いつものように、手に太めの筆をつけて床に座り、身体を傾けながら紙に筆を下ろした。いつもならそこからうまくバランスをとりながら線を描いていくのだが、その日は筆が動かない。筆が床に突き刺さったまま動かないのだ。だんだん息づかいが荒くなり、紙におろした筆先の一点を見つめたまま視線も動かない。
    紙に墨がにじんでゆっくり拡がっていく。
「大丈夫?」声をかけるとわずかに顔が上下する。それからわずかに右のほうに筆先が移動する。本当にわずか、動いたか動かないかわからないくらい。線を描こうとするSさんの強い気持ちが伝わって来る。
 そんな風にして線が少し線らしくなった時、Sさんの息づかいが痰が絡んだようにぜいぜいと苦しそうになり、そのままうつ伏せになるように紙に倒れこんだ。Sさんはすぐに病院に運ばれ、しばらくフェースofワンダーを休むことになった。
  紙には10cmくらいの長さの線が描かれていた。Sさんの体重がかかった筆圧で紙には穴が空いていた。Sさんはこの線を3分くらいかけて描き切ったのだ。
  10cmの線を3分で描く!簡単そうに思えるかもしれないけれど、実はこれは大変なことなのだ。ボクらが10cm線を描くとしたら1秒もかからないだろう。3分で描こうとしたら大変な忍耐や意志力が必要になる。まずはあなたも描いてみたらいい。殆どの人は途中でギブアップする。3分の時間を持ちこたえられないのだ。
   あらためてSさんの線をみていると、そこには3分という時間の途方もない長さや重さが込められているのが伝わってくる。Sさんの描こうとする意志や線自体が持つ存在感に圧倒される。
  何かが表現される現場に立ち会わなければ見えてこない大切なものが仲間たちの表現の中にはあるのだという大切なことをボクは教えられた。フェースofワンダーの活動は仲間たちと共にいるということ抜きにはありえない。その積み重ねが地層になり、やがて少しずつアートの森へと変わっていくことをボクはみんなに伝えたい。