ひとりひとり、生きている姿は違う。
姿形はもちろん、声や言葉やからだの動かし方も違うし、見ているものだって違うのだ。
赤い花を一緒に見て、ボクらは「ああ、きれいだなあ」とか「すてきな赤だ」とか思って、同じ一つのもので結ばれていることに安心することは多い。
でもそれって、ボクらの勝手な思いかもしれないよ。
キミは「こんな赤は血みたいでこわい」とか「きょうの赤はうるさいよお」と思っているのかもしれない。
ボクらが生きている時間だって一人ひとり違うのかもしれない。
Sが描く時間は一瞬、それで終わるときもあれば、ボクの言葉かけで、その一瞬を何回か繰り返し、紙面にSならではの線や色彩の重なりが生まれ、歌が聞こえることもある。
色づくりにこだわるNは何種類もの絵の具を30分も混ぜて、暗く濁った泥濘のような色を作る。それから壁を塗るように紙面を丁寧に何度もなんども塗っていく。絵の具に塗り込められたNの時間を知っているのはボクだけかもしれないけれど、ボクにはそれは30分という時間ではなくもっと厚くて深いような気がする。