みんなルーティ

ボクにはたいせつな友だちがいる。

名前はルーティ。

人間ではない。

木の根っこだ。

実はボクが書いた絵本『ねっっこのルーティ』の主人公なので、このブログに紹介するのは宣伝みたいになるのであまり書きたくないのだけれど、つい最近、「ルーティって生きているんだ!」と実感することがあったので書くことにする。

『ねっこのルーティ』のストーリーは簡単。空から降ってきた名も無いタネが地中で目を覚まし、いろいろな友だちに出会い、少しずつ自分の生きている意味に気づいていく・・・ま、よくある絵本の王道みたいなもの。

(でも、英文付きなので文字が小さくなり、地中の生死を扱ったイメージがぶっ飛んでいるので、暗いとか難しいとか、いろいろ言われて散々(笑)。でも「朝日小学生新聞』や『ダ・ヴィンチ』や『日本図書新聞』にも取り上げられて、一部では評判もよかったんだよ・・・ああ、また宣伝になっちゃった!)

 で、そんなねっこのルーティだけれど、ルーティは自分が誰なのか、何をしたいのかとか何かをしてあげようとは思わない「ねっこ」なので、だからたまたま出会った生きものたちにあるがままで接していく。無垢といえば無垢だけれど、そんなきれいな言葉で形容したくない。暗い地中ではどこに行ったらいいのか分からず泣き出すし、熱に苦しむ子どもには何をしていいか分からずオロオロと抱きしめるだけだし、アリの壊れたお城を治すためには自分の手を折り取って差し出したり、石になりそうな鳥の魂を空に還すために手を焼いたりする。

後先も何も考えないのだ。その時、その時をあるがままに生きている。

 そんなルーティだけれど、なぜかルーティは出会った生きものたちをつないでいく。ルーティの無鉄砲な行動にみんなが心配し、ルーティを助けるのだけれど、やがてみんなが知恵と力を結集して世界を変えていくのだ。

 こう書いていくと、「ルーティってフェースofワンダーの仲間たちみたい」って思う人もいるだろう。そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。きっとルーティが答えをくれるだろう。(笑)

 先日、Tくんのお母さんから、子どもの障がいにはじめて向き合った時の不安と苦しさ、そして自分の時間のほとんどを子どものために捧げてきた話を聞く機会を持った。「つらかったけれど、いろいろな人と出会い、自分は一人じゃないと思えるようになった。自分は強くなったと思う。Tが勇気と力を私にくれたんだと思う。」

お母さんは明るく、そんな話をしてくれた。

「Tくんはねっこのルーティだね」思わず私はそういった。

「ルーティって、そういう話だったんですね!もう一

度、読んでみなくちゃ!」

今度はお母さんのその言葉が、ボクを励ました。

ああ、そうなんだ!

ルーティはこんな風にボクらの周りで生きているのだ!

 

Tくんもルーティ

お母さんもルーティ

ボクも多分、ルーティ

きっと、みんなルーティなのだ

 

*『ねっこのルーティ』(パロル舎)2011年5月刊